
(写真提供:@y.s.lien)
碁盤目の街並みに刻まれた時代の記憶と多様な融合
百年前の関山は、縦谷地域における行政の中心地であった。日本統治時代、日本人はここに郡役所を設置し、植民地都市計画の概念に基づいて碁盤目状の道路を整備し、官舎、鉄道、宿舎、学校などを建設し、現在の市街地の原型を築いた。今でも、ヒノキ造りの日本家屋や官邸、警察宿舎が残り、往時の歴史を静かに語っている。

(写真提供: 関山鎮公所)
関山は地形が平坦で水資源が豊富であったことから、清代以降、閩南や客家などの住民が開墾のために訪れ、現地の原住民族と徐々に融合していった。農耕、養豚、漬物文化が根づき、とりわけ客家の食文化や祭礼は、関山に深い人文的な厚みをもたらしている。近年、古い街並みや建物は地域の人々によって修繕・活用され、歴史と生活の姿を伝える場として再生している。稲田と山々に囲まれた関山の街を歩けば、時代を重ねてきた山の町が、温かく着実な歩みで、この土地の物語と記憶を静かに紡いでいることを感じられる。

(写真提供: @zi_yuan888)



