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馬武窟から東河へ
東河は、もともと「馬武窟」と呼ばれ、アミ族語で「網を投げて魚を獲る」という意味を持ち、かつて住民が川と海と共に暮らしていた姿を映し出しています。海岸山脈の東麓に位置するこの地域は、豊かな山海の恵みに支えられてきたと同時に、長い歴史を刻む集落でもあります。静かな泰源幽谷から都蘭湾に至るまで、数百年にわたり文化が交差し、政権が移り変わる中で、東河ならではの独自の時空が形づくられてきました。

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清代以降、アミ族、プユマ族、漢人、そして後に日本人が順次移り住み、信仰・言語・生活習慣にその痕跡を残しました。日本統治時代には都蘭庄役場が設けられ、現在の行政の基礎が築かれました。戦後、「馬武窟渓」の下流名に由来する東河郷へと改称され、この地に新たな名前の歴史が刻まれました。
渓谷と海風に育まれた滋味
東河郷の物産は、海岸山脈と太平洋のあいだに広がる気候と地形に育まれている。泰源幽谷一帯は渓谷の水気に恵まれ、タンカン、文旦、ネーブルオレンジなどの柑橘類が育ち、東河は「柑橘の郷」とも呼ばれている。沿岸部や丘陵地では、バンレイシ、アテモヤ、さまざまな熱帯果物も豊富に実り、季節の移ろいとともに異なる風土の味わいを見せてくれる。
果物だけでなく、東河には地域性を生かした食文化も育まれている。山と海に寄り添う環境の中で、農産物と漁獲は日々の食卓に欠かせない存在となっている。多くの小さな店や部落の食事も、旬の食材を料理に取り入れる習慣を受け継いでいる。近年では、帰郷した若者や小規模農家が環境に優しい農法やブランドづくりに取り組み、珈琲、手作り食品、地域農産物を通して東河の暮らしの味を新たに表現している。こうして、この山と海の地に息づく物産の物語は、今も少しずつ広がり続けている。

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(写真提供:小村遠遠)



