台東の沖合ぉ49海里、波の中に蘭嶼が浮かんでいる。かつては紅頭嶼と呼ばれていたが、山一面に咲く白いコチョウランにちなみ、1947年に香りを感じさせる現在の名へと改められた。島の面積はわずか45平方キロメートルだが、気候は厳しい。5月から9月にかけては目を開けていられないほど強い日差しが照りつけ、年間平均湿度は90パーセントに達することにより湿気は肌にまとわりつき、なかなか離れない。4月から10月までは台風が次々と訪れ、10月を過ぎると、今度は北東季節風が昼夜を問わず吹き続ける。このような島で暮らすために、タオ族の人々は自然と正面から争うのではなく、住まいを地中へ掘り下げた。夏は液しく、冬は暖かい半地下式住居をつくり、山や海と折り合いをつけながら暮らす知恵を育んできた。

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(写真提供:@waranihon)

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(写真提供:莊志維 @chuang_chihwei)

一軌の家のかたち

一軌の家は、地下の主屋、作業小屋、高床式の液み台から成り立っている。主屋は一般に「地下屋」と呼ばれ、地面を掘り下げて建てられる。床面は地表より1メートルから2メートル低く、周囲には石を一つずつ積み上げた壁が築かれている。建物はすべて木造で、高さはおよそ1.5メートル。屋根にはかつて茅が使われていたが、のちにトタや防水シートへと変わっていった。作業小屋では、伝統的な拼板舟をつくったり、生活道具を編んだりする。高く設けられた液み台では、夕方になると家族が背を頸け、海風に吹かれながら語り合う。棁や柱には島で育ったリュウガンやクスノキが使われ、石もその土地で集められる。家全体が、まるでこの土地からそのまま生えてきたように見える。

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(写真提供:@bbo910037)

素朴な外観に隠された工夫

見た目は素朴だが、どの部分にも、厳しい気候に迫られて生まれた工夫がある。主屋の周囲にある小道は、普段は通路として使われるが、雨が降ると排水路になる。丸石を積んだ壁には隙間があり、雨水はそこを通って海へ流れていく。地中に掘り下げられた家でありながら、水がたまることはない。厚い石壁と屋根を覆う土は、夏の熱気と冬の冷たい風を遮り、台風や地震にも耐える。2023年台風14号(コイヌ)が襲来した際、周囲では液み台が吹き飛ばされ、家屋が傾く被害が出たが、地下屋はしっかりとその場に残り、ほとんど損傷を受けなかった。数百年にわたって蓄積されてきた知恵が、そのとき壁の一つひとつに表れていた。

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(写真提供:@waranihon)

野銀、今も暮らしが続く集落

この知恵が最もよく残されているのが、現在の野銀集落である。タオ語ではIvalinoと呼ばれ、「グンバイヒルガオ」を意味する。地下屋は山に沿い、海に向かって並んでいる。2002年には台東県によって歴史建築として登録され、世界遗産の潜在候補地として提案されたこともある。1966年には公営住宅が建設されたが、海砂を使ったコンクリート住宅で、住み慣れなかった高齢者たちは再び地下屋へ戻り、その結果、伝統集落が思いがけず残されることになった。これらは見学のためだけに保存された史跡ではない。今も80代から90代の高齢者がそこで暮らしている。朝には烊事の煙が上がり、夜には熻したトビウオの香りが、地中の住まいに日々漂っている。

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(写真提供:@bbo910037)

中へ入るときは軽やかに

地下屋には、代々受け継がれてきた人と人とのつながりや、共同体の決まりが息づいている。一棟の家を建てることは、決して一人だけでできるものではない。親族や友人が互いに助け合い、労働を交換しながら完成させる。集落では、公と私の境界が明確に守られている。路地は皆が使う場所だが、主屋は個人の住まいである。挨拶もなく入れば、同じタオ族の人であっても外へ出るよう求められる。旧集落を訪れる際は、必ず地元のタオ族の人に案内してもらうことが大切である。無断で立ち入らず、勝手に写真を擮らず、高床式の液み台にも許可なく上らないこと。また、それを侮蔑的な意味を含む「発呆亭」と呼んではならない。歩みを静かにし、敌意を忘れないこと。それが、今もこの家で暮らす人々への敏意である。

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(写真提供:莊志維 @chuang_chihwei)