身体に刻まれた民族の記憶

台湾はオーストロネシア人の発祥地として、かつて手彫りの刺青文化が原住民族の社会構造や身分認識において重要な役割を果たしていた。皮膚に墨を打ち込む技法には、民族の歴史的記憶が刻まれ、社会階級や精神的信仰の象徴とされていた。しかし、日本統治時代の禁制や近代化の影響で、この貴重な文化は消滅の危機にさらされた。近年、台東県政府の支援により、「タトゥーウェーブズフェスティバル」などの活動を通じて、この伝統技法の復活が進められている。

身体に刻まれた民族の記憶

パイワン族の文化では、手彫りの刺青は社会的地位、勇気、美しさの象徴とされている。異なる紋様は、個人の身分や家系を表し、位の高い者は人形紋様、百歩蛇紋様、太陽紋様を持ち、一般の人々は四角形や菱形の幾何学模様が多い。

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(写真提供:Cudjuy Patjidres )

また、刺青は性別による違いが明確であり、男性は胸や背中に施され、祖霊の加護や強さの象徴とされる。一方、女性は手の甲から肘にかけてのみに限定され、年齢や出産の経験によって異なる模様が施される。台東県文化処の調査によると、パイワン族の刺青模様は50種類以上が確認されており、それぞれに独自の文化的意味が込められている。

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(写真提供: Taiwan PASIWALI Festival )

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(写真提供:Cudjuy Patjidres )

古い日本の写真からニュージーランドへの旅へ

台東での手彫りの刺青文化復興は、パイワン族の彫り師、宋海華(Cudjuy Patjidres)の尽力によるところが大きい。彼は日本の古書に掲載されたパイワン族の刺青写真を目にしたことをきっかけに、この技法に対する情熱が芽生えた。

手彫りの刺青技法は、片手で線を描き、もう一方の手で墨を皮膚に打ち込むという高度な技術が求められ、施術者と文化の深いつながりを象徴している。2015年、宋海華は国際オーストロネシアタトゥー大会に参加し、ハワイの彫り師である Keone Nunesと出会った。この交流を通じて、台湾では失われた手彫りの刺青技法が、ハワイやニュージーランドなどのオーストロネシアの地域では現在も継承されていることを知り、この出会いは台湾における手彫りの刺青復興の転機となった。

国境を越えた刺青文化の広がり

2024年11月、国立台湾史前文化博物館でタトゥーウェーブズフェスティバルが開催され、ハワイ、ニュージーランド、パプアニューギニア、サラワク、台湾の彫り師が集結した。イベントには850名以上の方が参加し、そのうち42%が原住民族ではない方々だったことから、この文化が民族の枠を超えて広まりつつあることがわかる。宋海華の影響により、現在では多くの彫り師がワークショップを開き、若い世代に手彫りの刺青技法を伝授している。

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(写真提供: 台東県政府)

また、このフェスティバルと同時に、「Voice of the Ocean 国際オーストロネシアミュージシャン台東レジデンス計画」も開催され、フィリピン伝統舞踊のワークショップ、大溪地(タヒチ)の樹皮布作り体験など、多様な文化交流イベントが実施された。これらの取り組みは、音楽やアートを通じてオーストロネシア地域との結びつきを深めることに貢献した。

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(写真提供: Taiwan PASIWALI Festival )

一針一線で未来を編む

現在、台湾では12名の手彫りの刺青彫り師が活動しており、7つの異なる原住民族の伝統を受け継いでいる。彼らの目標は、「一族一人の彫り師計画」の実現であり、刺青の伝統を持つすべての原住民族が、自らの文化を継承する彫り師を持つことを目指している。

手彫りの刺青は単なる装飾でなく、文化的アイデンティティと民族の記憶の象徴であり、身体を通じて歴史と精神を後世へと伝える役割を担っている。若者たちがこの文化の継承に参加することで、かつて消えかけていた手彫りの刺青文化は、今、新たな命を吹き込まれ、台湾のオーストロネシアの地に力強く蘇っている。

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(写真提供: Taiwan PASIWALI Festival )

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