タオ族の伝統において、黒アワは福をもたらす穀物とされ、高い位置づけを持っている。人々はモモタマナの葉でアワを包み、畑の豊作と家族の繁栄を願って祈る。友人を訪ねたときに黒アワの束を受け取ることがあれば、その何千粒もの実にはたくさんの祝福が込められている。それは、相手にとってあなたが大切な友人であるという意味でもある。黒アワの収穫期になると、野銀部落では活動広場で部落全体が集う収穫祭が開かれる。会場では、南島の暮らし体験教室、黒アワ畑をめぐる散策、アワ搗きの歌などの文化体験も行われ、この島で代々受け継がれてきた暮らしの美意識に触れることができる。

(写真提供:Lanan Media)

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冬を越す糧、体を養う米
かつて蘭嶼の主食はタロイモとサツマイモだった。黒アワは毎日食べるものではなく、滋養のある食べ物として扱われていた。女性が出産したあと、長老たちは黒アワを食べると母乳が出やすくなると言い、重い病気から回復した人の食卓にも、体力を補うために黒アワが出されることがあった。蘭嶼の冬は北東季節風が強く、寒さも厳しいため、ほとんど耕作ができない。保存性の高い黒アワはその時期に倉庫から取り出され、冬を越すための大切な支えとなった。
台湾の原住民族部落でよく見られる大きな穂のアワとは異なり、この固有種は短い穂を持ち、外殻は黒く、脱穀後の粒は灰色を帯び、草丈は約90センチほどであり、粒は特に小さい。しかし食習慣の変化や栽培に時間がかかることから、一時は20年近く誰も栽培しなくなり、島から静かに消えかけていた。

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古い飾りから始まった純化
黒アワを再び育てるために、まず必要だったのは種を探すことだった。職業軍人を退職し、故郷に戻って十数年になる焦雷克は、親戚の家のテレビの壁面に十数年も飾りとして掛けられていた数束の黒アワを見つけた。だめ元で試しに植えてみたところ、思いがけず本当に芽を出した。ただ、長年の混植によって系統は雑多になっていた。そのため復興の最初の作業は、異なる系統を取り除き、種原の純化を進めることだった。かつての本来の蘭嶼黒アワを、もう一度畑へ戻すためである。この種を守る取り組みには農業改良場も技術面で協力し、失われかけていた品種を少しずつ安定して保存できるよう支えてきた。

(写真提供:pongso no tao)

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ばらまきからすじまきへ、収量はもとより3割から5割増加
種が見つかったあと、次の課題はより多くの人に栽培してもらうことだった。農業改良場の専門家の助言と台東県政府の協力により、部落では従来の粗放的なばらまきから、管理しやすいすじまきへと栽培方法を変えた。その結果、一株あたりの収量はもとより30%から50%向上した。さらに現代の農機具も導入され、作業の負担も大きく軽減された。現在、島内では3、4戸の農家が契約栽培に取り組んでおり、栽培面積は約0.5ヘクタール、年間生産量は300キロに達している。収穫された黒アワは、黒ダイヤ米の真空パック、黒アワのポン菓子、幼い頃の味わいから生まれた樹杞のポン菓子などの土産品にも展開されている。畑の実りは島の外へも届く地域ブランドとなり、部落の農家に実際の収入をもたらしている。

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植え戻されたのは、ただの作物ではない
部落にとって、黒アワは決して単なる食べ物ではない。それは拼板舟にも似ている。木を選ぶところから組み立てるところまで、一つひとつの工程には世代を超えて積み重ねられた知恵が宿っている。長老たちの口伝と手ほどきによって受け継がれ、今の時代に合った方法で続けていく必要がある。
復活栽培は、お金を得るためだけのものではない。地域の味を通して、蘭嶼の土地、食、文化がどのような姿をしているのかを、もう一度知ってもらうための取り組みである。黒アワ、白いサツマイモ、タロイモ。風土が育てたこれらの味が重なり合い、島のもっとも素直な表情を形づくっている。実りをつけた黒アワの束が再び畑で頭を垂れるとき、忘れられていた島の記憶もまた、少しずつ土へ植え戻されていく。

(写真提供:@hatchingdays__)

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