東京五輪の台湾初金メダル 台東出身の郭選手が大会記録更新し獲得 |
コロナ禍により延期せざるを得なくなってしまった2020東京オリンピック、無観客でようやく7月23日より開催されました。母国の期待を背中に、世界各国から日本へ集まる選手たちは全てを五輪に捧げてきました。そんな中、27日に行われた重量挙げ(ウェイトリフティング)女子50キロ級が行われ、台湾を代表する郭婞淳選手がトータル236キロの成績で金メダルに輝き、台湾にとて今大会初の金メダルを獲得しました。そんな郭選手、実は台東生まれだったこと、ご存知でしょうか? 1993年11月26日生まれの彼女は波瀾万丈な幼少期を過ごしました。女手ひとつで育てられた彼女は幼い頃から住所を転々し、母親は出稼ぎされていたものの生活費だけでも精一杯なため自宅が持てず祖母と工場の寮に住んだこともありました。そんな彼女は子供の頃からスポーツに興味を持ち、中学時代はバスケと陸上を両方こなしていましたが、最終的にウェイトリフティング一本に絞る理由にはこんなエピソードがありました。中学三年生の頃、彼女は陸上の代表として大会のリレー種目に出場しましたが、思いにもよらず競技中にバトンを落としてしまい、とても残念な結果となります。ところが次の日、まともに練習もせず冗談半分で登録されたウェイトリフティングでなんと金メダルを獲得し、初めて自分はウェイトリフティングに向いているのでは無いかと目覚めます。高校進学後、彼女はウェイトリフティングに専念し、2010年のアジアン・ジュニア・ウェイトリフティング大会で53キロ級銀メダル、全国中等学校運動会53キロ級金メダル、更にユースオリンピックでトータル174キロの成績で銀メダルを獲り、台湾初のユースオリンピックメダリストになりました。その後も彼女は数々の大会で入賞し、2012のロンドン五輪で銅メダルを獲り、実力と経験を重ねてここまできました。 今大会でスナッチ103キロ、そしてジャーク1本目の125キロに成功した時点で金メダル確定でしたが、2本目の133キロも成功させ気合いで3本目141キロに挑戦したが失敗し、ジャーク133キロの成績でトータルを含めいずれも五輪記録を更新し、世界中のウェイトリフティング大会を制してきた彼女はまさにグランドスラムという成績を残しました。そんな彼女に現役引退後の夢を伺ったところ、「故郷に戻って後輩たちの1日の始まりの栄養を提供したい。朝食屋さんかな?」と答えました。これからどのような活躍があるか、台湾中の方々から暖かく見守られることでしょう。 |
コロナ禍から生まれた 新たな食の需要 |
外出を慎むように求められているこのご時世、外食に慣れている方はフードデリバリーという手段もありますが、普段自炊されている方・飲食店に要請された「イートイン自粛」のため自炊を始めた方は今回のパンデミックによりライフスタイルそのものを調整せざるを得ない状況を直面された人も多いのではないでしょうか。食材の買い出しの際にソーシャルディスタンスを守ることはとても難しい上、市場でクラスターが発生したニュースなんて毎日のように見れます。そこで新たに生まれたのがこの食材の宅配サービス。台湾の場合、冷凍されたお肉や魚、または一種類の果物の箱買いなどはもとよりありましたが、今回紹介する食材宅配は少し違って一つの大きな段ボール箱に様々な野菜が詰められて売られ、今まで無かったこの野菜ボックスは自炊する多くの家庭をサポートしてきました。 |
2020年、コロナウイルスが世界中ありとあらゆる国を侵食し始めてからEコマースは更に成長を見せ、特に食品類についてとある記事にはなんと862億元の市場価値があることが判明されました。台湾は今年第二波の大流行に見舞われ、飲食店は持ち帰りのみ提供するよう要求されるようになったため自炊する人口も増えました。しかし先ほど述べたよう、買い出しに行くだけで感染される恐れもあるため、新たなニーズに気付いたたくさんの業者が野菜ボックスの宅配を始めました。データによるとインターネットで「野菜ボックス」を検索するユーザーが激増し、様々なバリエーションの野菜ボックスをプロデュースする企業も増えてきました。 例えば鍋に使える食材セットとして白菜やエノキ、椎茸、大根、ヤングコーンにお豆腐や蒟蒻まで入っていたり、台湾人の食卓によく出てくる野菜炒めに使われるキャベツやにんじん、ニンニクなどなどと、各々の家庭に合うセットが必ず見つかります。そして必要な人数分だけ購入することはもちろん、産地直送で一番旬の野菜をポチッとするだけであなたの玄関にお届けされます。更にこの野菜ボックスは販売ルートに困っていた農民に新しい可能性を感じさせ、今までとは違うビジネススタイルを始めるきっかけにもなりました。今後コロナが終息しても、世の中に需要とされるビジネスで間違い無いでしょう。 |
台日や台米の友情の証 台東にあり |
コロナウイルスが世界で猛威を振るい、各地で感染が拡大していく中、各国はお互いに助け合ってきました。特に台湾と常に友好な関係を保ってきた日本とアメリカはパンデミックが発生した直後に台湾からマスクを贈られ、今年5月に第二波の感染拡大に対しワクチンが足りず集団免疫はまだまだ遠い台湾には両国から数百万回分にも及ぶワクチンが寄付されました。このように『困った時には助け合う』絆、実はその面影は台東にもありました。 まずは日本と縁のある「朝日温泉」。この温泉は台東県の離島・緑島の南東部に所在する世界有数の海底から湧き上がってくる海水温泉であり、かつて日本統治時代の頃より愛され続けてきました。当時は今と違う「旭」という漢字を使われておりましたが、透き通ったやや酸性の硫酸塩泉は今も変わらず県民や観光客を体の芯まで温めてくれています。まったく硫黄の匂いがせず、湯からあがると肌がすべすべする朝日温泉は、海水あるいは地下水が地底に沁み込み、地下のマグマに触れて加熱したものとみられています。三つの露天風呂と温泉スパが設置されており、波の音を聞きながら夜は星を見たり、朝は日の出を拝みながらの温泉を楽しむことができます。 そしてもう一つは、その由来を1937年まで遡る緑島の灯台。その年に、あるアメリカの遠洋定期船がサンフランシスコから神戸を経由してマニラに向けて出航され、通常なら台湾海峡を航行するものの日中戦争が勃発したため、戦闘を避けるべく民間船は台湾の東海岸に沿って航行し始めるようになりました。全てが順調に見えていたある真夜中、この船は緑島に押し寄せられ、珊瑚礁に当たって沈み始めます。この様子を目の当たりにした島の人たちは救助に取り掛かり、結果なんと503名の乗客と300名以上の乗組員が全員無事に救出され、迎えにきた米軍の船でマニラまで行き着くことができました。そして数週間にわたりこのことはアメリカ国内でもニュースになり、この地で灯台を作ろうと赤十字は寄付金の募集を始めました。最終的に資金の提供はアメリカ・デザインは日本・実際に建てたのは緑島の人という奇跡的にも三つの国が結ばれた友情の証が1939年に完成しました。 コロナ禍で更に深まった友情。パンデミックが終えた暁にぜひその証を訪れに足を運んでください。 |
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※新型コロナウイルスの関係により変更がある可能性があります。詳しくは各主催者のホームページなどでご確認ください。 |