台湾のイグサ編みの歴史は、清の雍正5年(1727年)までさかのぼる。平埔族の女性たちは大安渓下流で野生のイグサを採取し、乾燥させて平らにした後、草蓆や籠頭などの日用品を編んでいた。その後、漢人の移住と開拓が進むにつれ、イグサ編みの技術は学ばれ改良され、次第に地域産業として発展していった。
当時は「草蓆を編める女性は三人の男に勝る」と言われるほど、イグサ編みは生活技能であると同時に農村女性が家計を支える重要な収入源でもあった。日本統治時代には、台湾のイグサ帽の年間生産量が1600万頂に達し、砂糖と米に次ぐ第三の輸出品となった。これはこの工芸が人々の日常生活と深く結びついていたことを示している。

(写真提供:台東県政府)
日常に息づく天然素材
イグサは細くしなやかでありながら強靭で、吸湿性と通気性に優れている。天日干しすると黄金色に変わり、自然な草の香りを放つ。さらに可塑性が高いため、草蓆や帽子、バッグ、収納用品など、さまざまな実用品に編み上げることができる。
イグサは稲わらのように腐りやすいと思われがちだが、実際には非常に耐久性が高い。草蓆一枚でも数十年使用できるほど丈夫である。こうした特性により、イグサ編みは草席や帽子、生活用品などを生み出す民間技術として台湾の家庭に欠かせない存在であり続けた。単なる美術工芸ではなく、人々の生活に根ざした実用的な伝統なのである。

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半世紀を越えて再びイグサへ
1932年、台中清水に生まれた林黄嬌は幼い頃に童養媳となり、義母からイグサの裂き方、添え方、縁の仕上げ方などの基礎を学んだ。1954年に家族とともに台東へ移り住んだ後、五人の子どもを育てるためにイグサ編みを約30年間中断していた。
52歳のとき、娘婿が経営する獅子王飯店を手伝う中で再びイグサに向き合うようになる。最初はバッグや帽子を作り、その後は猿やひよこなど立体作品へと発展させた。文字を読むことができなかった彼女は、豊かな想像力を頼りに、ほぼ一年をかけて二十四孝の物語を題材とした24作品を制作した。その後も八仙過海や干支のシリーズを生み出した。


(写真提供:台東県政府)
東台湾に根づく継承
林黄嬌の弟子である鄭梅玉は、もともと中学校の生物教師であった。1994年に藺イグサ編みに出会ってからこの工芸に魅了され、台東の農漁村の暮らしや原住民族文化を題材に作品を制作している。タオ族のチヌリクランやサイシャット族の矮霊祭などをテーマにした作品で、南瀛美展や国家工芸賞など数多くの評価を受けてきた。
また彼女は独自の口訣による指導法を考案し、初心者でもイグサ編みを学びやすい環境を整えた。2005年と2006年には台東監獄と緑島監獄で藺イグサ編み講座を開き、2015年にも再び矯正施設で授業を行った。工芸を通じて更生者に新しい技能を身につけさせる取り組みでもある。


(写真提供:台東県政府)
退職後は「鄭梅玉草編工作室」を設立し、展示や体験活動を通してイグサ編みを広く紹介している。台東に根づくこの伝統工芸が、次の世代へと受け継がれていくよう活動を続けている。



