台東駅の背後に佇む月形石柱は、単独で存在する遺構ではなく、かつて完全な形を成していた先史時代集落の中心をなしていた存在です。高さ約4メートル、幅153センチの板岩製石柱で、頂部にある半円形の穿孔が破損していることから「月形石柱」と呼ばれており、現在、卑南遺跡の原位置に立ち続ける唯一の先史時代遺構です。1980年、南廻線の建設工事により、この地に埋もれていた歴史が偶然明らかになりました。約2,000基の墓葬と、2万点を超える土器・石器・玉器が発掘され、発掘面積は1万平方メートル以上に及びました。これらの成果は台湾考古学史上前例のない規模であり、卑南遺跡は環太平洋および東南アジア地域最大規模の石板棺墓群遺跡として位置づけられています。

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墓地から住居へ──集落の全体像

発掘調査により、卑南遺跡は祖先を葬る場所であると同時に、人々が長く暮らしてきた生活の場であったことが明らかになりました。住居は隣接して整然と並び、背後には食料貯蔵と考えられる石積みの囲いが設けられ、一部には高低差を行き来するための石段も確認されています。これらの発見は、約3,500年前の卑南文化の人々が、居住・貯蔵・墓葬空間を体系的に配置する高度な空間計画能力を備えていたことを示しています。

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石柱の方位に秘められた謎

日本統治時代の調査記録によると、卑南遺跡には高さ1.8~4.55メートルの石柱が複数存在していましたが、現在は月形石柱のみが原位置に残されています。現地調査と古写真の比較により、基部が残る石柱は4基確認されており、その幅広の面はいずれも北から東へ約30度の方向を向いています。月形石柱との差はわずか1度です。現代の測量機器が存在しなかった約3,000年前に、これほど精緻な方位で石柱を建立した技術力は、まさに驚異的と言わざるを得ません。

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山を越えた巨石運搬の謎

月形石柱の素材である板岩は、卑南遺跡周辺では産出しません。地質研究によれば、最も近い産地は中央山脈東側に位置し、遺跡から少なくとも5キロ以上離れています。数百キロから1トンを超える巨石を、先史時代の人々がどのように運んだのかは、いまだ明確になっていません。卑南渓上流の地層から採取し、水流を利用して運搬した可能性が指摘されていますが、確定的な証拠はありません。いずれにしても、このような大規模な作業には相当な労働力と社会的組織が必要であり、石柱が当時の人々にとって特別な意味を持っていたことを物語っています。

千年の凝視、解明される日まで

台東県政府が整備した卑南遺跡公園では、現代の旅人が考古学の現場を実際に体感することができます。原位置に立つ月形石柱を通して、先史時代の人々の暮らしに触れることができるのです。この石柱は国定古跡であるだけでなく、台東県のシンボル(県章)のデザインにも取り入れられ、この土地ならではの文化的深みを象徴しています。月形石柱は今も静かに立ち続け、新たな解釈と出会いを待っています。

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