台東県の東南部に位置する太麻里郷は、日の出の方角にあることから「日の出の郷」として知られています。パイワン族の言語で伝統的な名前「Ja.Bau.Li」は「太陽に照らされた肥沃な土地」を意味し、人々と自然との深いつながりを象徴しています。山から海まで続く地形は、豊かな農業資源と観光資源を育みました。金針山の高原農場は金針花やハイキングで有名で、沿岸部には温泉で知られる 金崙温泉があります。ローゼルや釈迦頭など、季節ごとの特産品は、この地ならではの自然と寄り添う暮らしを映し出しています。
多様な民族が共に築いた「夜明けの地」
清代の文献によると、太麻里の旧名は「打猫薇(ダーマオウェイ)」であり、後に音の変化によって現在の地名となったといわれています。また、パイワン族の言葉で「Ja.Bau.Li」とは「太陽の昇る場所」を意味し、太平洋から昇る壮大な景観を象徴しています。
約千年前、パイワン族の祖先であるチナヤゴ(Cinayago)がブユマ族(氏族)を率いてこの地に入植し、太麻里開拓の始まりとなりました。清朝時代には西部から漢人が移住し、日本統治時代には嘉南平原や中部山地からも移民が集まりました。

(写真提供: @fishcancer2020)

(写真提供: @fishcancer2020)
このような民族移動と文化の融合により、太麻里は台湾でも珍しい多文化の縮図となり、パイワン族、アミ族、ルカイ族、閩南人、客家人、外省人など六つの民族が山と海の間で共に暮らしています。宗教信仰、集落の変遷、言語の継承などが太麻里社会の発展を物語っています。西暦2000年の初日の出を拝めて以来、台湾で最初に朝日が昇る場所として知られるようになった「太麻里」という名は、希望・出発・多様な共生・共栄の象徴となりました。

(写真提供: @nacl2018)



