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馬武窟から東河へ
東河は、もともと「馬武窟」と呼ばれ、アミ族語で「網を投げて魚を獲る」という意味を持ち、かつて住民が川と海と共に暮らしていた姿を映し出しています。海岸山脈の東麓に位置するこの地域は、豊かな山海の恵みに支えられてきたと同時に、長い歴史を刻む集落でもあります。静かな泰源幽谷から都蘭湾に至るまで、数百年にわたり文化が交差し、政権が移り変わる中で、東河ならではの独自の時空が形づくられてきました。

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清代以降、アミ族、プユマ族、漢人、そして後に日本人が順次移り住み、信仰・言語・生活習慣にその痕跡を残しました。日本統治時代には都蘭庄役場が設けられ、現在の行政の基礎が築かれました。戦後、「馬武窟渓」の下流名に由来する東河郷へと改称され、この地に新たな名前の歴史が刻まれました。



