臺東縱谷の桃源郷に出かけよう—武陵部落での文化體驗
鹿寮溪に位置する武陵は詩で例えたかのような美しい景色とそこで暮らす純朴な気質を持つ人々、そして異世界を思わせる桃源郷のような場所であることから戦後「武陵」と命名されました。武陵は利稻の次に大きなブヌン族の部落であり色濃い伝統文化が根付いています。今回は皆さんにこの美しい部落をご紹介しますので、是非縱谷への旅行計画を建てて忘れられない体験にしましょう。
こちらもおすすめ: 監獄の/中のカフェ – 台東戒治所咖啡館、卡那歲工作坊
武陵は元々ブヌン語でBuk-Zavという「平原」を意味する言葉で呼ばれていました。この肥沃な大地は加拿水溪流により形成されていて日本統治時代から農場と牧場を作る計画が進められていました。都市部とは違う生活リズムを体験したいのならば、武陵綠色隧道(グリーントンネル)を旅行プランの一箇所目に入れましょう。自転車で小葉欖仁樹(モモタマナの木)が作り出すグリーントンネルの木陰を走りながら、遠くに広がる美しい田畑を眺め、武陵部落の農村体験に興味があるのならば、以斯馬哈散農莊を訪れ油芒(台湾キビ)、粟、レッドキヌアといった部落の農産物の美しさを鑑賞しましょう。(写真提供: 臺東縣政府)
以斯馬哈散農莊
住所: 臺東縣延平鄉2鄰25之1號
1922年創立の武陵國小には百年を超える歴史があり、主にブヌン族の子供が通学しています。武陵國小は学生の想像力と思考能力を養うと同時にブヌン族の伝統文化を継承する責任を担っており、部族の言語や歌、部落の文化財などを通じて部族に伝わる文化に対する認識を育んでいます。学校では部落の文化要素についての教育時間を取る以外に部族に伝わる伝統儀式などを行う為の伝統家屋を校舎の後方に建造しました。また、武陵國小は音楽人材を育成する揺り籠とも言われており、学校の合唱部は音楽コンクールの入選常連校であると共に有名なシンガーソングライター・王宏恩の母校でもあります!(写真提供: IG@jmhtravel168)
住所: 臺東縣延平鄉一鄰16號
武陵部落は日当たりが良く広々とした土地であることから、日本統治時代には「太陽の光が最初に射し込む場所」という意味のある「明野」という名称で呼ばれており、武陵の谷に掛かる明野橋橋墩(橋脚)は歴史の記憶が詰まった過去の様子を残した情景を今に伝えています。明野橋橋墩は1933年に建造され、以前は武陵と關山を結ぶ主要道路として使用されていましたが、修理が行われず荒廃したことにより橋脚のみを残しています。この古跡は現在も完璧に近い形で保存されており、日本統治時代の特徴を色濃く残した必須観光スポットになっています。記念撮影をしたら、橋脚近くの近水樓台咖啡を訪れ、ハンドドリップで注がれたコーヒーの香りと共に素晴らしい景色を堪能しましょう。(写真提供: IG@jmhtravel168)
近水樓台咖啡
住所: 臺東縣鹿野鄉永安村永嶺路266號
2004年に完成した武陵親水步道はアジアで最初の灌漑水路を利用した公園です。鹿野大圳は以前鹿寮渓流からの水を武陵、永安、龍田などの地区まで運び農民達の生活を改善していた灌漑水路。その後農業人口の減少と水路の老朽化に伴い、自然生態を楽しめる遊歩道のある公園として県政府が多くの自然植物を植え、トレッキングやレジャーアクティビティが楽しめる場所になりました。遊歩道の側には渓流が流れておりまるで江南水鄉を思わせる作りになっています。(写真提供: 延平鄉公所FB)
住所: 臺東縣延平鄉明野路20號